私は基本的に、安易な「女子枠」や「結果の平等」を掲げるフェミニズム的な発想が大嫌いである。能力や実績の多寡を無視し、数値目標やイデオロギーを優先して下駄を履かせる行為は、現場で血の滲むような努力を重ねてきた人間への侮辱であり、組織を内側から腐らせる劇薬に過ぎない。
その最悪の標本が、我が国の最高学府である東京大学の総長(学長)選考をめぐる泥沼劇だ。
普通の会社で言えば、開発や営業の最前線で莫大な数字を叩き出す花形エース(本流の研究者)と、総務や人事でガチガチにルールを固めてきた番頭役(本部官僚・管理部門)の醜い権力闘争である。後者は往々にして「前線が活躍できるのは自分たちが土台を支えているからだ」と自負し、実績では敵わないエースを「リスク」や「理念」という反論しにくい抽象論で排除にかかる。
2020年の選考(第1幕)では、学内の教職員による意向投票で圧倒的トップに立ち、論文被引用数や国際的評価でも世界最高峰に位置する工学部の染谷隆夫教授が、出所不明の怪文書を口実に密室会議で切り捨てられた。そして誕生した藤井現体制は、ダイバーシティ(DE&I)を看板に掲げて選考会議の女性比率を一気に引き上げ、学問的実績に乏しい活動家寄りの委員で身辺を固める。
そして今、まさにリアルタイムで進行している2026年秋の選考(第2幕)において、同じ茶番劇が繰り返された。意向投票の決選投票で染谷氏が過半数(1,107票)を獲得して再びダブルスコアの民意を示したにもかかわらず、選考会議はそれを平然と覆し、現総長の腹心である次点の女性教授(553票)を次期総長に選出したのだ。
「初の女性総長誕生」というポリコレの実績作りと執行部の路線継承のために、世界トップレベルの研究実績と現場の圧倒的支持を二度も踏みにじる。この理念を隠れ蓑にしたグロテスクな権力闘争と露骨な下駄履かせに、激しい嫌悪感を抱かない方がどうかしている。
だが——今回の将棋界において、西山朋佳白玲が掴み取った「プロ棋士(四段)資格」を巡るドラマに対して、私はまったく正反対の感情を抱いている。彼女にはぜひともこの資格を行使し、プロの盤上で戦い抜いてほしいと心から願っているのだ。
これをダブルスタンダードと笑うなかれ。両者の間には、天と地ほどの断絶が存在する。
第1章:桁外れの針の穴と、西山白玲が払った「血の代償」
まず、将棋界における「プロの門の狭さ」を冷静に直視する必要がある。
国内最高峰の東大であっても、学部入試の合格者は毎年約3,000人にのぼる。プロ野球(NPB)のドラフト指名選手ですら、育成枠を含めて年間100人を超える。対して、将棋のプロ棋士(四段)になれるのは、原則として年間わずか4人だ。日本中から集まった神童たちが人生の青春期をすべて賭けて奨励会へ飛び込んでも、通れるのは上位4名のみ。日本に存在するあらゆる選抜試験の中で、最も狂気じみた細い針の穴である。
西山朋佳が手にした切符は、決して東大のそれのような「理念先行の下駄」などではない。
彼女はかつて、その地獄のような奨励会三段リーグで14勝4敗(次点・3位)というスコアを叩き出した。通常の期であれば文句なしに昇段していた数字であり、実力としてはとっくに四段の合格ラインに匹敵する。さらに年齢制限で退会した後も、男性公式戦で勝ち越して「棋士編入試験」へと挑んだ。
あの編入試験の過酷さは、今思い出しても凄まじい。迎え撃つ新鋭プロ5人は、対局数が少なく手元に潤沢な可処分時間があり、何週間も前から「対西山」に特化した最新AI研究を万全に仕上げて待ち構えていた。一方の西山白玲は、女流の複数冠保持者としてタイトル戦の防衛と全国遠征に追われ、男性トップ棋士並みの超過密日程の合間を縫って戦わなければならなかったのだ。研究時間とコンディションの圧倒的不利を背負いながら、彼女は新鋭プロたちを相手に最終第5局まで迫ってみせた。
そして今回、女流棋戦の中で最も男性公式戦に近い「持ち時間各4時間の七番勝負」である白玲戦を5期防衛し、クイーン白玲の金字塔を打ち立てた。彼女が手にしたのは下駄ではない。自らの腕力で盤上に血を流し続け、あらゆる扉を叩き割って掴み取った「傷だらけの切符」なのだ。
第2章:実力至上主義という名の欺瞞
「それでも特例ルートによるプロ入りは、正規の関門を潜っていない以上、実力主義に反するのではないか」という声がある。だが、そうした批判を聞くたびに私は強い違和感を覚える。
そもそも、現在のプロ将棋界は本当に「実力至上主義」を貫いていると言えるのだろうか。
政治や経済の規制産業が既得権益の上に胡坐をかいているのと同様に、技能や勝負の世界であっても、評価されるべきは「過去の実績」ではなく「現時点の実力」でなければならないはずだ。しかし将棋界を見渡せば、26歳という年齢制限で人生を折られて去っていく三段リーグ上位者や、現役バリバリの西山・福間ら女流トップよりも明らかに棋力が衰え、公式戦で負け越しているベテランのフリークラス棋士たちが、プロの身分と順位戦手当の恩恵を何年ものモラトリアムとして守られ続けている。
「一度関門を抜けたから」という過去の栄光だけで、現時点で強い若者が排除され、弱くなった者が保護される。そんな緩い新陳代謝のセーフティネットを内部に温存しておきながら、外からの参入者に対してだけ「純粋な実力主義」の純潔性を要求するなど、あまりに欺瞞に満ちているのではないか。
上から順に強い者を並べてプロとするのが真の実力主義であるならば、現在の西山白玲がその椅子に座る資格を持つことに、何の疑いもないはずだ。
第3章:ルールの思惑と、プレイヤーの尊厳
もちろん、今回適用された「白玲通算5期でフリークラス編入資格」というルールそのものに、大人の思惑やスポンサーへの露骨な配慮が透けて見えることは否定しない。新将棋会館建設を一手に支えた最大手パトロンの意向が、頑迷な座(ギルド)の掟を動かしたという政治的な背景に、賛否両論やモヤモヤした感情が生まれるのは理解できる。
しかし、もしそのルール設定に問題や不公平さがあるとするならば、批判されるべきは「そのルールを作った制度設計者(連盟執行部)」であって、ルールに則って正当に結果を出し、資格を勝ち取った当事者ではない。 プレイヤー個人を叩くのは完全に筋違いだ。
西山朋佳という個人にとって、今からプロ棋士になるメリットは驚くほど少ない。年齢的にはすでに伸び盛りの全盛期を過ぎ、肉体的なピークを維持するだけでも過酷な段階に入りつつある。ここにプロ公式戦が上乗せされれば、藤井聡太六冠レベルの過密日程と移動の連続で、AI研究の時間すら奪われる「アルティメット・ハードモード」の消耗戦が待っている。
西山白玲や福間女流四冠が二十代の最も勢いがあった数年前に、なぜこの扉が開かなかったのか。そして現在、三段リーグに後を追える有望な女子会員が一人もいないという現実に、深い歯がゆさを禁じ得ない。
それでもなお、私は彼女に跳んでほしいと願う。
彼女が四段として盤上に座ることは、安易な理念に甘えることではない。歪な大人の思惑をも盤上の強さでねじ伏せ、「女性であってもプロの荒波でやれるのだ」という歴史の楔を打ち込む行為だ。それは後進の少女たちにとって、どんな欺瞞に満ちたクオータ制よりも力強い道標となるに違いない。
理念だけの「下駄」には断固として反対する。だが、全身全霊で戦い抜き、自力で風穴を開けた一人の勝負師には、惜しみない拍手と祝福が送られるべきだ。